序 ヴェトナム戦争の現在

2 本稿の目的


1975年4月30日、近藤紘一は何度も大使館の屋上に立って、其処此処に立ちのぼる白煙と、その合間で乱舞するヘリコプターと、耳をつんざくような爆音と、そして雪崩を打ったように騒ぎ出す群衆とを見ていた。彼・近藤は、サンケイ新聞社サイゴン特派員として、今や砂上の楼閣と呼ぶに相応しい南ヴェトナムの最期を看取ろうとサイゴンにとどまり、そして今、そんな彼の目前で、ひとつの「国家」が音を立てながら瓦解してゆこうとしていた。

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ミン大統領の声だけがあたりを支配した。

ベトナム人職員の一人が必死でメモを取り、最初の一枚をマイさんがフランス語に訳してそのまま読み上げる。

「民族和解への全ベトナム人の渇望・・・・・悲劇的な同胞の血の流し合いを・・・・・私は全ての権限を委譲する。ベトナム共和国陸海空軍は即時、戦闘行為を中止する。全将兵は、いっさいの射撃行為をやめよ・・・・・」

一方的停戦宣言―――――。

「まちがいないね。射撃をやめよ、といったんですね」

せき込んで念を押した私に、

「そうです。一方的停戦宣言です」

マイさんは縁なし眼鏡の位置をただすようにしながら、もう一度メモを確認した。それから顔を上げ、私たち全員に向かって静かにほほえんだ。

「戦争は、今、終わりました」【01 】
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こうしてサイゴンは陥落した。30年ものながきに及ぶヴェトナムの戦いは、一旦ではあるが、その幕を下ろした。一般に「ヴェトナム戦争」という枠組で語られるのは、その30年のうち最後の10年間である。

ヴェトナムで何があったのか。それは今日まで、様々な分野で語られてきた。国際関係論等をはじめとした社会科学系のアカデミズムに関しては言うまでもない。実際、1990年代以降も「ヴェトナム以後」世代に属する若い研究者たちによって、新しいヴェトナム戦争論が次々に登場し、当時、それらに刺激された大学院生たちの間でも、学位論文の主題としての「ヴェトナム戦争」は学会に於ける「流行産業(ファッショナブル・インダストリー)」と言われるほどの活況を呈したという。【02】

加えて、ヴェトナム戦争に関しては、ジャーナリズムによる記録や回想の類が膨大に存在している。実際に戦場へ身を置き、それぞれの視点から戦争を「体感」した報道記者、カメラマンなどによって、各人各様の「ヴェトナム戦争」が記録されているのである。有名なところでは、デイヴィッド・ハルバスタムやニール・シーハン、ティム・ペイジなどが挙げられるが、そうした欧米のジャーナリストのみならず、日本に於いても日野啓三や前出の近藤紘一ら報道記者、さらには沢田教一や石川文洋、一ノ瀬泰造などのカメラマンによってそれぞれの「ヴェトナム」が目撃され、その記録が残されている。

そして最後に、「ヴェトナム戦争」は、映画や小説、更には音楽などの分野に対しても多大な影響を与えた。しかしながら、この場合、両者間の関係性は極めて複雑に錯綜した様相を呈する。と言うのも、そこに於ける「ヴェトナム戦争」が、それら映画や小説に於ける夥しい量の映像や言葉で回顧され、その悲劇を嘆かれてきた一方で、時に都合よく断片化され、或いは誤解され、しばしば一面的な形容でひと括りにされてきたという事実が、両者の関わり合いを一言の下に要約し把握し去ることを頑なに拒むのである。もちろん、学術的な研究論文やジャーナリズムに於いても、様々な領域・関心・角度からその分析を試みた「ヴェトナム戦争史」や「ヴェトナム戦争観」が登場している。しかしながら、映画や小説の領野に於ける「ヴェトナム戦争」ほど雑多で断片的な印象を残す「ヴェトナム戦争群」は存在しないのであり、そこではまさしく「ヴェトナム」と言う「問いに対して確答はない」【03】のである。

例えば一時期の「ヴェトナム帰り」というイメージが、マーティン・スコセッシ監督『タクシー・ドライヴァー Taxi Driver』に於ける「猟奇的殺人者・トラヴィス」のそれによって確かに代表されていた一方で、徴兵されてゆく「息子たち」の「汚れのなさ」は、その「根こぎにされた青春」とともに、ブリティッシュ・チャートに於けるNo.1ヒット、ポール・ハードキャッスルの『19 Nineteen』によって一様に嘆かれている【04】。また、マイケル・チミノ監督作品『ディア・ハンター The Deer Hunter』に於いては、アメリカにとっての「ヴェトコン」が、GIにルシアン・ルーレットを強要する狂気の群れとして画一的に描出される一方で、詩人アレン・ギンズバーグの告発的な言葉によって「認め」られたのは、どちらも同じ人類としての「アメリカ」と「共産主義者」であった【05】。そして、帰還兵出身者による小説や回想の類は、1990年代半ばの時点で総数1万2000を越えるというが、その内容は「未だに統一された主題を持たず、断片的なまま」だという【06】。要するに、映画や小説によって扱われる「ヴェトナム戦争」に於いては、極めて多種多様な相貌が様々なレヴェルで存在し、それはとても同一の事象を扱ったとは思えないほど互いに異なった仕方でアプローチされているのであり、そして、こうした状況それ自体が、「ヴェトナム戦争」とそれを描いた映画や小説との関わり合いの在り方を即断することに、頑なな抵抗を示すのである。両者に於ける総体的な関係性の位相に関して何か言えることがあるとしても、それは、それら映画・小説群が何らかのかたちで「ヴェトナム戦争」に関わっていた、或いは関わらざるを得なかったという一般的傾向でしかあり得ないのである【07】。

本稿に於いて検討に付されるのは、そうした「実際のヴェトナム戦争と、その戦争を描いた映画や小説との関係」のなかの一部分である。具体的には先ず、局所的な分析として、特に1970年代後半から1980年代にかけて登場したハリウッド製作による「映像作品」に焦点を当て、これを批判的に考察する。このように対象を限定する理由は、既述のように、そのような映画・小説群にあらわれた「ヴェトナム戦争」それ自体に於ける断片性・複雑性はもとより、それら一連の「ヴェトナム戦争映画」群が、如何なる社会的状況から産み落とされ、或いはそうした社会的状況とどのような相補的関係を取り結んでいたのか、という問題にとりわけ関心を惹かれたからである。すなわち、社会的な分裂や経済的な停滞に苛まれていた「1970年代アメリカ」が、そのような状況からの脱出を試み、「強いアメリカ」の復活を希求し、結果としてレーガン政権の成立を促してゆくプロセスと、1970年代を通じて沈黙を強いられてきたかつての「ヴェトナム」が、1980年代に入り突如としてアメリカのスクリーン上に特定の仕方で語られ始めたという事実とが、殆ど「必然的な」因果関係を構築していると思われるからである。端的に言えば、自らの用意した「泥沼」に自ら嵌まり込んで行ったアメリカが、事後的にその「泥沼」を如何に一方的に「表象」していったのか。その姿を、一貫した連続体として総体的に把握すること。最終的には「1980年代アメリカ」による「ヴェトナム戦争」の「読み替え」が持つ今日的な意味を視野に入れながら、このちいさな作業は、そのあたりへ定位させてゆきたい。

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【01】近藤紘一『サイゴンのいちばん長い日』(文春文庫,1985)pp.159‐160 【02】 生井英考『負けた戦争の記憶―歴史のなかのヴェトナム戦争』(三省堂,2000)p.20 【03】ジョージ・C・ヘリング『アメリカの最も長い戦争』(秋谷昌平訳,講談社,1985),上巻,「著者序」に引用。 【04】生井英考『ジャングル・クルーズにうってつけの日―ヴェトナム戦争の文化とイメージ』(ちくま学芸文庫,1993)p.64 【05】“Dancing to the Vietnam Beat”, Newsweek, May 27, 1985, p.61ギンズバーグ「人間は裸でさらすのだ」〔;諏訪『アレン・ギンズバーグ』所収。pp.233‐234〕より 【06】ウォルター・T・デイヴィス『打ち砕かれた夢―アメリカの魂を求めて』(大類久恵訳,玉川大学出版部,1998)p.74 【07】Timothy Lomperis, Reading the Wind: The literature of the Vietnam War (Duke University Press, Durham, North Carolina: 1987) pp.44‐45

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