ヴェトナム戦争の語り 08

4 総括

以上、1980年代にあらわれたふたつのヴェトナム戦争映画について、その物語構成及びそこに描かれた「ヴェトナム」に検討を加えてきた。ここに至り、何故アメリカ社会が一方で『プラトーン』を称揚し、他方で『フルメタル・ジャケット』に冷ややかであったのか、という所期の問題設定に対し、一定程度の妥当性を有する回答をすることが可能であるように思われる。そして、そうした回答に言及するには、もう一度1980年代のアメリカ社会を簡単に振り返り、そこにふたつの物語を定位してみる必要があるだろう。

1980年代という時代を目前に控え、アメリカ社会は総体として「傷ついて」いた。1960年代に端を発し、南北戦争以来と形容された国内的な分裂の危機、続く1970年代に於いてはヴェトナムでの敗北と経済的な退潮を経験し、ウォーターゲートによって政府の権威も逆様に失墜した。ハト派は先の戦争に参加したことで、タカ派はその同じ戦争に勝てなかったことで帰還兵たちを罵り、彼らは文字通り唾棄され、社会的に孤立した。保守陣営は伝統的な価値観の崩壊を嘆き、リベラルもまた分裂していった。端的に言って、建国以来の「アメリカ的神話」が大きく揺さぶられていたのであり、そして、こうした総ての問題をもたらしたものとして認識されたのが、「ヴェトナム」だったのである。

そして傷ついたアメリカは、「癒されること」を渇望していた。「強いアメリカ」の復活が求められ、様々な領野で保守からの揺り戻しが開始された。そうした国民的なメンタリティがレーガン政権の成立を促し、対外的には対ソ強硬姿勢や第三世界への積極的軍事介入、対内的には新たな団結と和解への気運が高められていったのである。そして、このような時代に綴られた物語として検討を加えてきたのが、『プラトーン』及び『フルメタル・ジャケット』であった。

たとえそれ自体としては如何に政治的な党派性とは無関係な事象であっても、特定の社会的状況によっては、その効用に一定の色付けが為されてしまうことがある。すなわち、トマス・マイヤーズの言うように、周囲の政治的環境に規定された「読み手のありよう readership」如何によっては、それがどれだけ「ニュートラルな」動機から為されたものであれ、支配力を持つ政治・社会的な雰囲気によって、その意味性が一定の方向へ解釈されることを免れ得ないということである【01】。こうした例として典型的なものに、前段で言及したヴェトナム・ヴェテランズ記念碑の存在を挙げることが出来よう。

1979年、ヴェトナム戦争犠牲者の記念碑を建立する計画を推進するに当たり、その中心人物であった帰還兵ジャン・スクラグズらの関心は、「戦争の功罪をめぐる政治的議論を再び巻きおこしたり、愛国主義のために闘った仲間の兵士を讃えることではなかった【02】」。彼らは、自分たちを含むヴェトナム帰還兵の多くが国に裏切られ、無視されているという状況に慨嘆し、そうした帰還兵たちが慰められ、認知されること、すなわち「癒される」ことを願って、建設運動に取り組んだのである。しかし、スクラグズらのこうした動機は、必ずしも建設運動に賛同した総ての人々によって共有されていたわけではなかった。一部の上院議員や指導者たちは、「ヴェトナム戦争の時代に見られた合衆国内の亀裂を癒して国民的統一を図る必要」からこれに賛同し、「愛国的でない」と見做された記念碑のデザインに対しては、各方面から広汎な反対の声が上がったのである。結局スクラグズらは、そうした政治的思惑に譲歩せざるを得ず、当初のデザインになる記念碑の建設は決定されたものの、3名の「英雄兵士」を象った銅像を合わせて建立することで、様々な立場の妥協が図られた【03】。このような経緯にその学問的関心を触発され、「公的記憶」についての著作をものした歴史学者ジョン・ボドナーは、次のように述べる。

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・・・・・1980年代にはイデオロギーが復帰してきたかのように思われた。しかし今回は、イデオロギーの復帰はリベラルからではなく、むしろ保守の側から発していた。愛国主義がロナルド・レーガンと彼の政権のメンバーたちによって大いに議論された。・・・・・この今日的な議論を無視することはもはや不可能である。したがって普通の人々の小さな世界が全国政治という、もっと大きな領域にどのように結びついているのかという問題、そして現在において過去がどのように政治的に利用されているのかということについて考察しないわけにはいかなくなったのである。【04】
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こうした問題関心を抱きながらも、記念碑建設の経緯に対するボドナーの見解は、しかしながら、最終的には楽観主義的な結論へ落ち着いてしまう。すなわち彼は、以上に述べた計画推進段階に於ける紆余曲折を詳述した後、結果として「人によっては、その記念碑を愛国主義やナショナリズムの理念を体現したものと見なすことも出来たし、また〔スクラグズらの動機を為した〕死者との仲間意識や死者に対する哀悼の意を体現したものと見なすこともできた」としながらも、記念碑に対するスクラグズらのテーマが「愛国者やナショナリストの要望に勝利した」と結論するのである。【05】

言うまでもなく問題なのは、「人によっては」という部分、すなわち彼が愛国主義的な言説に対して、スクラグズらの抱いた当初の動機が「相対的に」勝利したことで半ば良しとしてしまっている点であろう。多様な価値観及びそれに規定された様々な政治的立場が社会に存在するのは当然であり、そこに於ける特定の価値観の勝利は、通常の場合相対的でしかない。注意を払わなければならないのはむしろ、特定の価値観によって、特定の文化装置、この場合には「記念碑」が、「夾雑物(ノイズ)を遮断するもの=フィルター」として作動させられてしまう危険性が少なからず存在する、という側面であろう。相対性は常に流動的である。つまり「ヴェトナム・ヴェテランズ記念碑」という文化装置に対しては、計画推進者の意図とは裏腹に、その政治性が抜き難く付与されてしまうという危険性が常に伴うのである。事実、「芸術上」その必要性が殆ど感じられない「英雄兵士」像が、「政治的思惑から」建設されたのであった【06】。

こうした議論を踏まえるならば、『プラトーン』及び『フルメタル・ジャケット』について検討してきた本章の収斂すべき結論も、自ずと明らかとなる。そして、所期の課題であった両者に対するアメリカ国内の「温度差」という問題についても、ある程度妥当と見做し得る結論によって説明することが出来る。すなわち、映像作品を含めた文化装置は、「人によって」、すなわち「読みの多様性」によってその解釈は様々である。しかし、一旦それが「望まない多様性」の排除を企図するメンタリティが支配的であるような社会的状況に置かれるならば、その文化装置に於いても「そのようなもの」としての機能が支配的となる。とりわけ映像作品の場合、しばしば特定のメッセージを内包し、具体性に充ちていて「解りやすい」という性格の故に、「フィルター」としての機能を当てがわれた場合には、極めて強力にその「効用」を発揮する。『プラトーン』に対する全米的な熱狂は、だから、傷ついた自らへの「癒し」を願い、そして「団結」や「和解」の達成を改めて欲し、故に「強いアメリカ」の復活を掲げたレーガン政権の成立を後押しした1980年代アメリカにとって、同作品がそうした彼らの要請を満足させるような物語を構成していたことを意味する。そしてこのことは、オリヴァー・ストーンが極めて個人的な理由から『プラトーン』を製作したのか否か、つまり彼が特定の政治的な熱情をもって同作品に取り組んだのか否か、という問題とは全く関係がない。たとえ彼が、自らの従軍体験を描きたいという純粋な動機から『プラトーン』を製作したのだとしても、そして、それが如何に彼の従軍体験を忠実に再現していたのだとしても、同作品が1980年代という時代によって特定の解釈を付与されてしまうことは免れないからである。我々は、『プラトーン』の物語構成に内在する重大な「奪用の契機」に検討を加えてきたのであるが、それは当時の社会的状況を慰撫すると同時に、そうした社会的状況によって「フィルター」としての機能を付与されることにもなった、というふたつの相即的な側面に注意を喚起しなければならない。すなわち、注意すべきは『プラトーン』がその「ヴェトナム」を(その意図がどうあれ)上述のように描出したことによって、国民的な「癒し」への契機が提供されるとともに、そのことによって「全米的な熱狂」というある種の「正統性」が同作品、ひいては同作品のなかに構築された「ヴェトナム」に与えられてしまいかねないということ、そして、そうして獲得された「正統性」が実社会上にコード化【07】され、アルチュセールの「イデオロギー」、ステュアート・ホールによる「コモンセンス」として一旦確立してしまうならば、その「見えない」影響力は、以降の「ヴェトナム戦争理解」に対して、決定的に重要な役割を担うであろうということなのである。ベネディクト・アンダーソンも指摘するように、資本主義の法則に貫かれた「メディア」は、「教育」と並んで「国家的アイデンティティ」や、彼の言う「公定ナショナリズム」を広汎に普及させるための最も重要なものである【08】。そして、そうであるならば「映画」こそ、最も決定的に「マス」に対して影響力を行使する「メディア」足り得る潜在性を常に秘めているのである。

こうして『プラトーン』が、「癒し」と「正当化」を交互に織り成す正帰還(ポジティヴ・フィードバック)の連鎖に取り込まれる一方で、かつての「ヴェトナム」は最早「昔話」として置き去りにされてしまう。1980年代世論のアンビヴァレントな動向は、そうした危うさを少なからず露呈するものであった。逆に、『フルメタル・ジャケット』に対する冷ややかな国内的反応は、だから、同作品が「ヴェトナムを乗り越え、癒しを達成するための装置」として機能し得ないこと、つまり『プラトーン』によって乗り越えられたはずの「ヴェトナム」が、再び顔前に突き付けられたが故の全米的な「拒否反応」として位置付けられるのではないだろうか。

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集団的健忘のプロセスは、人々の複雑な過去を放逐する代償として、望ましい社会的状況に挑戦するというよりは、それを補強し、慰めとなるような神話(comfortable myth)を持ち出すのである。【09】
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「ヴェトナム戦争」によってもたらされた停滞と分裂とは、新しい「ヴェトナム戦争」解釈によって、すなわちそこに「アメリカ的神話」の健在を確認する作業を施すことによって快復されることが最善であった。それを「昔話」へと回収し、新たな時代へ踏み出すことが出来るからである。『プラトーン』に於いて、「ヴェトナム」は過去形で語られ、結果として「アメリカ的神話」の不滅・再生が確認された。たとえ『プラトーン』を製作するに至った動機がどのようなものであったにせよ、オリヴァー・ストーンによって織りなされた物語それ自体が、「ヴェトナム」やその教訓を払い除け、彼我の関係性を転置し、そして「アメリカの本来的な姿」を導きそれを慰める装置として、「1980年代アメリカ」に読まれてしまう性格のものだったのである。

他方、『フルメタル・ジャケット』は現在形で「ヴェトナム」を語り、そうした「アメリカ的神話」への不信を改めて突き付けた。アメリカは、自らが僅か数ヶ月前に「訣別」したはずの「ヴェトナム」に再度直面させられたのみならず、初めてそれとの「遭遇」にも似た体験をも余儀なくされることとなったのである。両映像作品が内包するこうした物語構成の対照性こそが、両作品に対するアメリカ国民の共感度を画した決定因だったと言い得るのではないだろうか。

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【01】Myers, Walking Point: American Narratives of Vietnam, p.192‐193 【02】ジョン・ボドナー『鎮魂と祝祭のアメリカ―歴史の記憶と愛国主義』(野村達朗・藤本博・木村英憲・和田光弘・久田由佳子訳,青木書店,1997)p.12 【03】Ibid.,pp.14‐17 【04】Ibid.,pp.7‐8 【05】Ibid.,p.23 【06】Ibid.,p.1 【07】記号論に於いては、情報の発信者がメッセージを構成するときや、受信者がメッセージを解読する時、参照しなければならない一連の「約束事」を一般に「コード code」という。〔岩本他編『「新」映画理論集成①』,p.296参照〕【08】ベネディクト・アンダーソン『想像の共同体―ナショナリズムの起源と流行』(白石さや・白石隆訳,NTT出版,1997)参照。【09】Klein, “Historical Memory, Film, and the Vietnam Era”, p.19

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