ヴェトナム戦争の語り 04

3 構造と展開

Ⅱ 訣別と遭遇

ⅱ) 「特殊」な戦争

「プラトーン」―――実際の発音により忠実であろうとすれば「プラトゥーン」に近い―――とは、「軍隊や警察の小隊・戦闘小隊」を意味する。ヴェトナムに於いてそれは、手薄な最前線基地を文字通り死守する役目を担わされ、故に最も過酷で熾烈を極める任務の遂行を期待された部隊であり、新人のクリスが配属されたのもこうした戦闘小隊のひとつであった。部隊内には白人・アフリカ系・古参兵・FNGらが入り混じり、彼らの間に存在する反目や軋轢、そしてそれらを乗り越えたところに生じる相互理解や固い友情などを通じて、『プラトーン』の物語世界は綴られてゆく。不当な扱いを受けるアフリカ系兵士はたびたび「政治だよ、これも政治だ/Politics, men…..fuckin’ politics」と口にし、当時のアメリカ国内に於ける公民権運動の高まりやアフリカ系アメリカ人の発言権増大を示唆するとともに、それでもなお、彼らの現実が如何に相変わらず厳しいものであるかということが、部隊内部の人間関係に反映されている。

着任当初のクリスは、如何なる事態に遭遇しても常に冷静沈着な行動をとるバーンズ軍曹(トム・ベレンジャー)に心酔する。バーンズはその身体に合計7発もの銃弾を浴びながら、未だに最前線で勇躍する「不死身の男」であり、非情な戦争のプロフェッショナルであった。本来部隊の指揮を執るべき中尉をさしおいて事実上の指揮権を掌握するバーンズは皆に畏れられ、彼に公然と反旗を翻すことが出来るのはエリアス軍曹(ウィレム・デフォー)ただ一人であった。必ずしも一般的な意味に於ける「人間性」を必要としない「戦場に於ける正義」は常にバーンズによって体現され、それがもたらす非道に対して「良心」からの反発を覚えるエリアスは、事あるごとにバーンズと対立し、そうした両軍曹の対立を軸に物語は展開されてゆく。

こうした二人の人格設定を典型的に描写した逸話が、物語の中盤を過ぎた辺りに挿入されている。1968年の或る晴れた日、部隊がヴェトナムの一村落に遭遇するシーンである。そこでは、「ヴェトコン」の痕跡を認めた隊員たちが、ヴェトナム人にとって貴重な財産である家畜を殺し、食糧をぶちまけ、村民を無意味に虐殺する。この場面に描出されるヴェトナム人たちは、悲痛な叫び声を上げるか、若しくは悟りきったような無表情で、唯一その表情に微笑を湛える青年は、そうであるが故に、彼にとって重すぎる代価―――すなわち死―――をもって贖われる。そしてバーンズ一味の無慈悲な虐殺を目の当たりにしたクリスは当惑し、一方でエリアスはバーンズに殴りかかるのであった。

こうした場面で問題なのは、恐らく、少なくともアメリカ人の観客によって縫合【01】されるのが、言うまでもなく巨悪に対し敢然と立ち向かうエリアス、及びバーンズに疑念を抱き始めたクリスであっただろうということである。上述の場面は、明らかに実際のヴェトナム戦争で起こった「ソン・ミ事件」(1968年3月、クアンガイ省「ソン・ミ村」で、この村を強襲した米陸軍アメリカル師団第11連隊C中隊が無抵抗の婦女子を含む凡そ500名を惨殺した事件。アメリカでは通常「ミ・ライ虐殺事件 My Lai Massacre」と呼ばれている)を想起させるものであるが、ここで我々が注意しなければならないのは、つまり、観客がバーンズに反感を覚え、エリアス及びクリスに共感し彼らに自己を投影させるという一連の手続きにより、「ヴェトナム戦争」という事象が「アメリカ史に於ける極めて特殊で例外的な状況」へと追いやられてしまいかねないという可能性である。というのも、1980年代アメリカの国内世論に於いては、殆どの国民が「ヴェトナム戦争」に「正義はなかった」と規定し、その再来を断乎として忌避していた反面、レーガン政権によるグレナダ進攻、続くブッシュ政権期のパナマ・湾岸に対しては、圧倒的多数をもってこれらを迎え、支持していた。そうした心的機制に於いては、かつての「ヴェトナム」を、当時の政府や生産関係、そして国内的な雰囲気などが「偶然」有機的に結合した「不幸な結果」であるという、ある種の「神話」へと回収してしまう心理を見出すことが出来る。ここに於いて我々は、すなわち、20年前にアメリカを襲った出来事は、確かに悲惨で厭うべき「過ち」であったには違いないけれども、それは一種の偏執・妄想症的(パラノイアック)な時代の産物であり、のちに国民規模に於ける「ヴェトナム・シンドローム」を経験したにしても、或いはそうした経験をし、そこから苦い「教訓」を既に学んでいるからこそ、「ヴェトナム」のような愚行が総体としてのアメリカによって繰り返されることはない「はずである」という楽観的な心理的メカニズムを感取せざるをえないのだ。

こうした楽観主義が罪深いのは、言わば「ヴェトナム戦争」を「通過儀礼」として把握することにより、そこから当然引き出されるべき「教訓」を事実上無化してしまうということであろう。20世紀初頭に「通過儀礼」の理論化を試みた文化人類学者アーノルド・ファン・ヘネップは、そうした「儀礼」を三つの段階、即ち、個人或いは集団を、それまでの身分や社会的地位から引き離す「プレリミナル」、個人や集団に一時的なアイデンティティの喪失をもたらす「リミナル」、そして新しい身分や社会的地位のもとに、個人や集団を再編成する「ポストリミナル」に区分した。また、これらファン・へネップの学問的成果を継承し、且つ洗練させたヴィクター・ターナーは、「儀礼」の「社会的効用」として〔1〕社会の秩序を確立し、それを維持し、またその回復に貢献すること、〔2〕団結の精神と愛着の共有とを引き起こし、それによって共同体を作り出し、それを存続させること、〔3〕社会の変質を引き起こし従来とは別の方向(W・T・デイヴィスの言葉に従うなら「新たな<物語>」)へと導くこと、という3点を挙げている【02】。両者の理論的枠組みを引照するとともに、1980年代という時代を、停滞と分裂という「アイデンティティの喪失」を経験したアメリカ社会が、レーガン政権期に於ける「強いアメリカの復活」という「古くて新しい<物語>」に自らを再編制しつつあった時代であったと規定するなら、「ヴェトナム」という事象が既に「通過された儀礼」でしかなく、それが戦われた<時代=物語>とは最早質的に異なる<時代=物語>に生きるアメリカ国民が、同戦争を「例外的で特殊な状況の産物」と見做すような心的メカニズムを作動させてしまうことは、ある意味で不可避であったのかも知れない。それはまた、「ヴェトナム」によって自らも傷ついたと感じたアメリカ国民が、そうした状況から自らを護り、或いはそこから脱却するために張り巡らした心理的な防衛機制であったとすることも可能であろう。しかし、アメリカがバーンズの人格を「例外的状況」に於ける更に「例外的な人物」の範疇に追い込み、エリアス及びクリスのうえに自己の「本来的な姿」を見出そうとするならば、「ヴェトナム」をある種の「昔話」に追いやる心的メカニズムと、その結果として「ヴェトナム」を忌避しつつ「グレナダ」を支持するという楽観主義的な国内世論とは、心理的な側面からその正統性を一層補強され、そこに内在する深刻な矛盾は隠蔽されてしまうのである。このことはまた、スクリーン上に再現された「ソン・ミ」やひいては「ヴェトナム戦争それ自体」までもが、その「アメリカの現在」に関わるものとしての教訓を剥奪されてしまうということにも連なるだろう。「ヴェトナム戦争」及び「ヴェトナム・シンドローム」を「経験した(=通過した)」だけでは、決して「教訓」を学んだことにはならないし、逆に「フロンティア」や「明白な大義(マニフェスト・ディスティニー)」といった「アメリカ的神話」に内在する膨張的な運動法則への真摯な反省がない限り、ヴェトナム戦争の「教訓」は全く空虚なものとしてしか響かないにもかかわらず、である。このような危険は、しかしながら、続く場面、即ちエリアスとバーンズの「最期」を描出した最終幕によって更に増幅されることになる。

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【01】「縫合(la suture)」という概念は、もともとラカン派の精神分析学者ジャック=アラン・ミレールが提唱したもので、主体とその言説との関係に於いて、対象の根源的な「欠如」がその「代理」となるような「 シニフィアン(意味するもの)」の介在によって創造的に補充され、こうした働きを通じて、象徴界の次元へ主体が組み込まれてゆく作用を指す。〔ジャン=ピエール・ウダール「縫合」(谷昌親訳),及び同論文に対する武田潔「解題」;岩本憲児・武田潔・斎藤綾子編『「新」映画理論集成②』(フィルムアート社,1999)pp.14‐31〕ただし、ここではその意味作用を敷衍し、ある登場人物に共感すること(そしてその人物に敵対する人物に反感を覚えること)を通じて、彼/彼女を「我々」のうちに投影・回収する一連の過程として援用している。〔酒井直樹「共感の共同体と否認された帝国主義的国民主義」;『現代思想』,vol.23‐01,1995年1月,pp.117‐132参照〕 【02】アーノルド・ファン・へネップおよびヴィクター・ターナーについての論考は、全面的に以下に拠った。〔デイヴィス『打ち砕かれた夢』pp.57‐69

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