ヴェトナム戦争の語り 03

3 構造と展開

Ⅱ 訣別と遭遇

 ⅰ) 戦場を担うもの

映像作品『プラトーン』と聞いて真っ先に想い起こされるのは、どのような印象だろうか。それは例えば、主人公を演じたチャーリー・シーンの醸す初々しさだったり、或いは舞台として設定されたヴェトナムの「不気味な」ジャングルだったり、人によって様々であるだろう。しかし少なくない人が、或る映像(イメージ)とともにそれら印象を想起するのではないだろうか。その映像とは即ち、天を仰いだアメリカの兵士が跪き、身体に無数の銃弾を浴びながら今にも絶命しようとしている、かの余りにも印象的な映像である。それは『プラトーン』のヴィデオ・ジャケットにも採用されており、同作品が言及される際には必ずと言っていいほど登場する視覚情報(イメージ)でもある。そしてそれはまた、アメリカにとっての「ヴェトナム戦争」が「一体どんなものであったのか」という設問に、アメリカ人にとって極めて説得的な回答を提供する表象(イメージ)であると言うことも出来るだろう。

物語は、戦争がその極みに達しつつあった1967年、クリス・テイラー(チャーリー・シーン)が、他の新兵たち(ファッキング・ニュー・ガイズ:FNG)【01】とともにカンボジア国境付近の米軍基地へと降り立つ場面から始まる。彼らは一様に若く、無知で、その横髪はきちんと両耳の上で揃えられており、そのことが観るものに一層彼らの「初々しさ(そして<罪の無いこと>)」を印象付けている。クリスは、兵隊たちの殆どが「たいてい地方出身」で「せいぜい高卒」であり、そしてそんな「恵まれない彼らが国のために戦っている」現状に欺瞞を感じて、大学を中退しヴェトナム行きを志願したインテリだった。「貧乏な家の子だけ戦わすのは不公平だ」と言うクリスに対して、或る黒人兵は「まるで十字軍だぜ」と呟いているが、冒頭から早くも、ヴェトナム戦争に於ける様々な矛盾のうちのひとつが示唆されている。即ち、それが「アメリカの最も長い戦争」と形容されながらも、決して総体としての「アメリカ」によって担われた戦争ではなかったという矛盾である。ここでクリスが疑問を抱いているのは、そうした矛盾の一端、即ち階級的な問題に起因する矛盾である。

実際、このような事情に問題関心を設定し、ボストンを中心とした凡そ100名の帰還兵に対する詳細なインタビュー及び統計分析を行ったクリスチャン・アピーによれば、ヴェトナムの戦地を経験した約250万人のうち、その約80%までが労働者階級ないし貧困層の出身者であったという【02】。もちろん、こうした「構造的な階級差別」ともいうべき状況が、当時に於ける徴兵制度、即ち「選抜徴兵制 the Selective Service System」の理念を(少なくとも公的には)大きく裏切るものであったことは言うまでもない。この制度は、年間200万名以上にのぼる陸軍の成員を確保するために行われたもので、正式の徴兵令状を発行する以前に、対象者に自発的な志願意思の有無を問うたものであるが、これによって彼ら対象者は、徴兵によって軍隊、即ち陸軍に入隊することが確実となる前に、陸軍か海軍かといった一定範囲内での希望を訊ねられることとなり、例えば海兵隊員のように自ら積極的に志願して戦争に赴くというわけではないものの、徴兵されることが確実だとの予想に基づき、「徴兵を動機とした自発的志願者 “draft-motivated” volunteers」として入隊してゆくことになったのである【03】。徴兵という枠組に於いて「公平さ」を担保しつつも、ある程度個人の意思に配慮しているかのように思えるこの制度は、しかし、有形・無形の不公平によって事実上構造的にその理念が損なわれていた。即ち、ミドルクラスに属する青年たちの場合、良心的兵役拒否や、兵役不適格の旨記載した診断書を主治医に発行してもらうなど、様々な方法で徴兵を忌避する手段に恵まれていたのに対して、ブルーカラーに属する若者たちの場合、概してそのような環境に接することが難しかったのである。また、一般的な傾向として、ミドルクラスに属する青年の家庭や友人の間では、徴兵を忌避する手段についてのオープンな議論が比較的可能だった一方、ブルーカラーに属する青年たちに対しては、徴兵されればそれに応じるのが当然の義務であるといったような周囲の雰囲気、即ちコミュニティによる社会的な圧力や縛りがより強く作用していたという事情も介在していた【04】(このような事情を間接的に描いたものとして映像作品『ディア・ハンター』が挙げられる)。ともあれ、クリスが大学を中退し、自ら進んで戦地へ赴いたのも、こうした「アメリカの神話」に内在する矛盾に対し、他ならぬ「アメリカ的義憤」を感受した結果だったのである。そんな彼であっても、しかしながら、「ヴェトナム」が「理性の通用しない地獄」であり、「ここに来たのは間違いだった」と認識するようになるまでには、さほど時間はかからなかった。

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【01】Fucking New Guys = FNGとは、戦死或いは負傷した兵士の代わりに派遣された補充兵を指す。彼ら補充兵は、戦場に於ける戦闘或いは仲間内に固有の流儀に慣れておらず、他の兵士たちから警戒され、厭われるような存在だった。W・T・デイヴィスによれば、FNGという言葉には「訓練された兵士たち」が、「戦争」それ自体、或いは戦死した仲間など「戦争によって失われたもの」、そして「新参者を今一度信頼して命を預けることへの心もとなさ」などを複雑に包含する感情的反応が暗示されていたとしている。〔デイヴィス『打ち砕かれた夢』,p.263,<原注>第2章(12)参照〕【02】Christian G. Appy, Working-Class War: American Combat Soldiers & Vietnam(University of North Carolina Press, Chapel Hill, North Carolina: University of North Carolina Press, 1991) p.6 【03】生井『負けた戦争の記憶』,p.116 【04】Appy, Working-Class War, pp.28‐38, 50‐55

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