ヴェトナム戦争の語り 02

3 構造と展開

Ⅰ ふたつの物語

1986年12月に『プラトーン』が封切られたとき、アメリカ国内の「感動ぶり」は物凄かったという【01】。新聞・雑誌紙誌上では連日のように特集が組まれ、TVでも大々的に取り上げられた。多くのヴェトナム帰還兵がそれについて語り、様々な知識人による様々な立場からのコメントが寄せられた。デイヴィッド・ハルバスタムなども、「(『プラトーン』は)少なくとも今後30年間、人々がヴェトナム戦争を語るときの代名詞となることだろう」との賛辞を贈っているという【02】。そして、自身イェール大学を中退してヴェトナムに従軍したという経歴を持つオリヴァー・ストーンによって描かれた『プラトーン』の世界は、ヴェトナム戦争の「リアリティ」に初めて肉薄したものとして絶賛を浴び、それに対するアメリカ国内の熱狂は、同映像作品を当然のように1986年度アカデミー賞4部門(作品・監督・編集・録音)受賞へと押し上げた。ここに於いて『プラトーン』は、紛れもなくひとつの「現象」となったのである。

実際、当初ニューヨーク・ロサンジェルス・トロントという3都市、6箇所のみでその上映がスタートした『プラトーン』であったが、封切り翌週には早くもその大ヒットを予感させる兆候を示し始める。特に、ニューヨークに於ける興行成績には驚嘆すべきものがあり、たった2箇所の上映で当該週あたり9万3693ドル、1館平均4万6846ドルを稼出し、1986年12月時点での同市に於ける最高記録を大幅に更新することとなった。全国的に見ても、当時の興行収入第一位であった『ゴールデン・チャイルド The Golden Child』が、1667館で上映され1週間あたり788万7899ドル、各館平均4726ドルであったのに対し、『プラトーン』は、僅か6館のみでの上映で24万1080ドル(全体の順位は16位)、各館平均4万180ドルという驚異的な数字をはじき出したのである【03】。新聞・雑誌を始め各メディアによる批評動向も極めて好意的で、例えば「長年、私たちの多くが待ち望んでいたヴェトナム映画・・・・・観客は興奮し、感動し、涙を禁じえない」(『ニューヨーク New York』)、「緊張は持続し、まったくとぎれない・・・・・情熱的で、おそろしいまでのイロニーにあふれた最高傑作・・・・・けたはずれの偉業」(『ニューヨーク・タイムズ』)、「この作品とくらべると、過去の戦争映画は、その最高傑作でさえ、遠くからクレーン・ショットでこわごわと撮った作品に見えてくる・・・・・『プラトーン』は地上ゼロメートルで撮られた映画である・・・・・ストーンはカメラを手にしたゴヤである」(『ロサンジェルス・タイムス Los Angeles Times』)など【04】、激賞と言い得る評価も珍しくなかった。そして、翌1987年2月には遂に興行成績第一位にまで登りつめ、上映館数は未だ600以下だったものの、興行収入累計830万ドル、各館平均1万4000ドルという「競合するどの映画よりもはるかによいビジネス」【05】となったのである。

こうして、その後『プラトーン』は全米規模に於ける「現象」と化してゆくわけだが、その余韻が未だ覚めやらぬ1987年6月、「ヴェトナム戦争」というテーマを扱った映像作品がもう一本、公開された。スタンリー・キューブリック監督の『フルメタル・ジャケット』である。同作品は最終的に興行収入4000万ドルを越え、伝統ある『ニューヨーク・タイムズ』の1987年度「テン・ベスト」に選ばれるなど【06】、同年を代表するヒット作の一本となった。しかしながら、『プラトーン』と比較した場合、ともかくも『プラトーン』がひとつの「現象」と化し、全米を席捲する一方で、『フルメタル・ジャケット』に対するアメリカ国内の反応は、どちらかと言えば地味なものであったと言うことが出来る。少なくとも「フルメタル・ジャケット現象」は終ぞ起こらなかったのである。

こうした事実は、『フルメタル・ジャケット』に対する各メディアの評価にも反映されている。曰く「目新しさを感じない・・・・・他の戦争映画の想像力を欠いた焼き直し」(『ニューヨーク・デイリーニュース New York Daily News』,1987年6月26日)、「6時のニュースにでも出てきそうな色あせたもの・・・・・監督が自身に設定されることを望む基準からすれば失敗作」(『タイム Time』,同年6月29日)、「これは彼(キューブリック)の最悪の映画ということになるだろう」(『ニューヨーク』,同年7月13日)等々【07】、極めて否定的な見解を示すものも少なくなかったのである。

こうした「温度差」は、『プラトーン』がストレートに描き出したアメリカの若き兵士たちのリプリゼンテーション(再・現前=表象)―――すなわち、無垢で、善良で、何も知らないまま1万マイルの彼方へ送られていった若者たち、と言ったリプリゼンテーション(再・現前=表象)―――が、広くアメリカ国内の心を捉え、且つ彼らにとって「理解しやすい=納得の行く」ものだった一方で、『フルメタル・ジャケット』に於ける(やや大袈裟な)罵詈雑言や卑猥なフォー・レター・ワードに支配された(キューブリック特有の)過剰な暴力性・狂気性に対して、人々が「良心的反発」を覚えた結果であるのかも知れない。或いは、「ヴェトナム」という極限的な状況が常態化するなかで、何故彼らGIがマリファナを吸わねばならなかったのか、どうして彼らの心がすさんでいく一方だったのか、という『プラトーン』の主要なテーマが、その「理解しやすさ=説得力」故に、自らも「傷ついた」アメリカの人々の心に直接訴えたのに対して、『フルメタル・ジャケット』を連綿と貫くある種の諧謔精神が、所謂「アメリカ的良心」によって「不遜」と見做された結果であったとすることもまた、可能であろう。もちろん、『フルメタル・ジャケット』に好意的な声も少なくなかったが【08】、それ以上に『プラトーン』に対する全米規模の賞賛は強烈な印象を残したのであり、こうして、ともかくも「第二世代」を代表するこれら二本の映像作品に対するアメリカ国内の反応には、殆ど対照的とも言えるほどの差が生じたのである。そして、『プラトーン』のアカデミー賞4部門受賞という出来事は、そうした国内の「温度差」を最も象徴的にあらわす事象だったと言うことが出来るだろう。

以下に於いては、先ず両作品の内容をやや詳しく跡付け、その内的構造がどのように実際のヴェトナム戦争と関係しているか(或いは関係していないか)という点について考察し、続いてそうした作業を通じ得られた成果に基づき、何故『プラトーン』が熱狂され、『フルメタル・ジャケット』に対しては距離が置かれたのかという部分に関し最終的な結論の導出が試みられる。

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【01】長坂寿久『映画で読むアメリカ』(朝日文庫,1995)p.86 【02】デイル・A・ダイ『プラトーン』(井上一夫訳,二見書房,1987)p.321 【03】ジェームズ・リオーダン『オリバー・ストーン―映画を爆弾に変えた男』(遠藤利国訳,小学館,2000)pp.207‐208 【04】Ibid.,p.209に引用。【05】最終的に同映像作品はアメリカだけで1億6000万ドルもの収益をあげた。Ibid.,p.7, p.211 【06】『月刊イメージフォーラム』No.95,1988年4月増刊号;『キューブリック』,p.176 【07】濱口幸一「ニューヨークにおける『フルメタル・ジャケット』評」;『キューブリック』,pp.106‐111に引用。【08】例えば以下を参照。〔New York Times, June 26, 1987;Newsweek, June 29, 1987〕

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